箱根駅伝が典型的な事例
どんなに頑張っても下位15%はずれたことをやる。これを規制するには強制力が必要。ほとんどの人には無意味でなおかつ面倒くさいルールが出来る。
15%は偏差値で40以下ですね。
式典中止したのに…例年の会場に新成人が集い、一時密に [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
「昼飲み」「バーゲン」自粛色なく 首都圏、宣言下も街混雑:時事ドットコム
抱擁、ノーマスク…混雑する成人式 係員が呼びかけても [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
箱根駅伝が典型的な事例
どんなに頑張っても下位15%はずれたことをやる。これを規制するには強制力が必要。ほとんどの人には無意味でなおかつ面倒くさいルールが出来る。
15%は偏差値で40以下ですね。
式典中止したのに…例年の会場に新成人が集い、一時密に [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
「昼飲み」「バーゲン」自粛色なく 首都圏、宣言下も街混雑:時事ドットコム
抱擁、ノーマスク…混雑する成人式 係員が呼びかけても [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
かつて関西の大物芸人だった上岡龍太郎が指摘したことが、テレビのお笑いは下品がうける(意訳)と言っていた。お笑いに詳しい人はそれを一発屋を例に出していた。
島田紳助はテレビは30秒でディレクターに切られると指摘していた。テレビの視聴者は長い話を聞いてもらえない。ラジオはもう少し長い。一番長いのは書籍(雑誌や新聞は短い)である。
テレビという媒体のフォーマットはぶつ切りで、なおかつ蓄積がない。前と後で話が矛盾してもその世界が成立してしまう。視聴者はメディアの構造上その矛盾に気がつけないのである。だからテレビやネットもぶつ切りの一発芸になっている。勢いだけの人が生き残る。
情報の蓄積がない。大宅壮一が一億総白痴化と例えたが上手いと思った。
テレビ受けした世界は現実で矛盾だらけになる。
かつて落合博満はプロは見本にならないと言った。落合の神主打法、イチローの振り子打法は天才がやって初めて物になる。素人、特に少年野球が真似してはいけない。まねするなら広島の前田智徳と言っている。
これがプロが選定する意味である。プロが選定したものが教科書になる。
選択は実はかなり難しい作業である。当時最強だった将棋ソフトが全選択肢を計算していた(通常、計算コストを減らすため全部を計算しない)。理由は選択肢を削る作業が思ったより難しかったからだ。
受験界で有名なこの本もはっきり言って東大に行けるレベルがある人向けである。素人が手を出すと日本語さえ理解できない。そういうものが良書として普通に流通している。
入門以前
ものすごく簡単で私の新しいお経を買えと言うことである。今あるお経は古いとか良くないという理屈をつけて捨てさせるのである。捨てて初めて買ってもらえる。
教科書は常に更新される。有名な経済学の教科書も何年かおきに新理論を入れて書き換えられてきた。さらにそれを踏まえた新しい教科書も書かれている。それが新しいスタンダードになる。踏まえることと否定することは違う。自分の意見を上乗せすることが踏まえるである。これが西洋のやり方である。だから大抵後ろに文献一覧が付く。
常識を疑うとは将棋の羽生さんが言っていたことだが(「定跡は絶対ではないと思った方がいい」)、これが羽生さんだから出来ることであって、素人は常識から(将棋は定跡)始めるのが近道である。
常識の改良くらいがいい。そうやって発展したのが西洋(哲学・科学分野)である。そのためには常識はなぜ正しいのかを説明できないとならない。かなり難しい話になる。素人が登る山はハイキングコースがちょうど良い。それでも遭難するけれど。
情報の扱いは数ではなく意味である=インテリジェンス。
もちろん数も必要だけど。
ネットは特にだけど新聞やテレビ等もこの数の蓄積しかしてなくて、意味を掴まないことが多い。
大宅壮一はテレビの普及を見て総白痴化と言ったが、情報として数は飛んでいるが意味が無い状況は、考えているようで考えてない。そもそも見ているうちは頭を使ってない。
そろそろネットを捨てて書を読めにならないかな。
鬼滅の刃が興行成績歴代一位になったが、問題は映画ランキングのベスト10で邦画の実写が「踊る大捜査2」しかないことである。すでに邦画に力は無い。良作はあるけど(「霧島」)。
ゴジラをアニメ監督が撮ったことで証明されたように、映像の世界でアニメが上になったいた。アニメ監督自体は邦画に影響されている(岡本喜八や実相寺昭雄など)。
パト2とあるけど、自衛隊のクーデターはOVA版でやっている。
ついでに「踊る」も元ネタは多分パトレーバー。映画のパトレーバー2はベイブリッチは爆破した。
90年代ですでに実写はアニメに負けていた。この次はアニメを見た世代が実写を撮る番だけどさてどうなるのか。
ゴジラは特撮なので実写の邦画に入れてもらえるのかどうか不明ですが。ガメラ3も。
ルールが複雑だと守れないし守る気も無い。
計画は無観客だったが… クラスター発生の福島大ダンス発表会 - 毎日新聞
発表会に向けたリハーサルや練習、その後の飲み会で感染が広がった可能性があるという。
と
しかし実際は学生41人、保護者など学外から22人の観客が訪れ、密集した状態で着席していたという。担当教員は大学の聞き取りに「来場者を断れなかった」と説明しているという。
全部悪手でしかない。無観客が正しいのではなく、人と近くで話すのが危ない。飲み会は最たるもの。三密の意味です。
スピリチュアル(=自己啓発)としての映画
我々は真実をしり目覚めてしまった。しかしそれは世間に理解されない。理解されないばかりか、叩かれる。というのが宗教映画によくあるパターンだと思う。
ユダヤ教とマルクス主義が似ているのは双方同じパターンを持っているからである。頑張れば報われるに近い。A主義は苦難を乗り越えていずれBが天下を取る。
中島敦の『山月記』に出てくる李徴はしっかりと自己を見つめていて虎になる。虎を発見したのは友人(外部の目)という設定である。
では虎にならないのはなぜか。
自己肯定感が凄いから。悩み無用。葛藤なし。悪はすべて他者。
宮崎駿は「風の谷のナウシカ」でナウシカとクシャナという善と悪(理想と現実)の葛藤があった。どちらも姫という立場なのも上手い設定である(人の上に立つ存在)。
富野由悠季は「逆襲のシャア」で(悪として)シャアは地球にアクシズを落とそうとした。庵野は感激して富野が「パンツを脱ぐ」と表現した(『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』)。
富野由が逆シャアでアムロに言わせた
— オムニ P (@OMNI_P) December 29, 2020
「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるから、いつも過激なことしかやらない。しかし革命の後では、気高い革命の心だって、官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を引いて世捨て人になる」
悪(敵)は他人ではなく、もう一人の自分である。個人の中に矛盾・葛藤がある。
『高校教師』の作家がその手法で「大人が悪い」「子供は善」と書いているらしい(ファンではないので未読)。そうすると大人は全部悪にならなければならない。そこに人という人格はない。
こういう立て付けだと幼稚な童話になる。自己を内省的に見ることがない。客観視できない。厚みがない話になる。
こういう同種の作品は一時流行ってあとは絶滅する。絶滅した後に抗体を持たない若い世代が出てきてまた流行する。一時、崩壊したソ連で新興宗教が流行った理由である。日本だとスピリチュアルブームがこれでその前の霊感商法などが下火になった後、抗体を持たない人が出始めて広まった。何年かおきか何十年か置きに同じ病気が流行る。
彼は劇団ひとりがいて初めて輝く存在だが、そのことを自己内でどう消化するかが作品になる。俺は天才だけど輝くにはもう一人の天才(ただし嫌いという設定)が必要である。ガウディのように。
「泣ける映画が良い映画とは限らない」(蛭子能収)
興行成績はそれほどではなかったけど刺さる人には刺さった作品。泣ける映画じゃない桐島、部活やめるってよ。
新海誠がオタク気質なので一般向け映画にするために脱臭が必要だったように(東宝のプロデューサーがやった)、この映画も一般向けにするために逆に武装する必要があったのだと思う。 その武装が有名アニメスタジオと有名俳優に声優をさせる戦術だった。
観ずに語る。
だが観る前からわかることもある。
以前、観る前に評論して実際観て評論した評論家がいたが、マニアはあの系統をそれこそ何本も観ているので観る前からわかる。
もっと詳しい周辺の話。
今北産業:古くて新しい話。映画は大仏(でっかい建物)。
機動戦士ガンダム逆襲のシャア 4KリマスターBOX(4K ULTRA HD Blu-ray&Blu-ray Disc 2枚組) (特装限定版)
見る前からいろいろ言われた映画。
予言がはずれるとき―この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する (Keiso communication)
芸人からの評価が面白い。たぶん正しい。
以前タイムマシーン3号が袖視聴率と言ってたけどその袖の評価かもしれない。
プペル見てきた。
— ふろむだ@学習効率本Amazon総合1位 (@fromdusktildawn) December 27, 2020
「夢を否定する人たちへの批判」という点で、ズートピアと同じ構造。
ただ、ズートピアは、差別や偏見によって友達を傷つけるような成功には意味がないとしてるのに対し、
プペルは、道徳的かどうかはスルーして、単に夢の否定が絶対悪で、夢の肯定が絶対善とするシンプルな主張。
宗教アニメも何本か見たけど、基本的に「仇役を魅力的に描こうとしない」んだよな。
— 葛西伸哉(HJ文庫『封印魔竜が〜』発売中!ノベリズム『聖なる彼女に~』連載中) (@kasai_sinya) July 24, 2022
教義の上では全否定されるべき存在だから。
ところがその結果、期せずして人間味が出て葛藤がない主人公側よりも魅力的になったりする。