物事の作法

小説のルール
だがその感じた恐怖や嫌悪をアクションや風景に置き換えるのが小説である。たとえば花子が恐怖を感じたとなら、「花子は歯をがちがちと鳴らした」とか「花子は身体を凍りつかせた」「飛び上がった」「目を大きく見開いた」といった具合に動作や状態に置き換える必要がある。

あと風景や天気で心情を表したり。「空は鈍色の雲に覆われていた」「ねばつくような重い空気が部屋を支配していた」「今年の夏の太陽は、まるで地上の生き物すべて焼きつくすかのように激しく照りつけていた」といったような感じで。人物の内面を婉曲に描くことが小説の基本だ。

昔、宮崎駿がアニメ(劇でも可)の作法を知らない人が入ってきてる的なことを述べていた(確か日経系統の新聞)。物事にはある程度約束事がある。たとえば落語では舞台を見て右側にいるように演じる場合、目上の人になる。ご隠居に相当する人が右にいて、熊さんが左側にいるように演じる。客席から見ると、ご隠居は左を見る(演じる人は右を見る)。熊さんは右を見る。この型が落語にはある。(ちなみにこの話は、立川談志のビデオで知りました。お弟子さんに稽古をつける場面で、この落語の約束事を教えていました。)
アニメも一つの舞台なので、画面の右から人が来る場合と左から人が来る場合で意味が違う。

お芝居もある程度の法則はある。それを解明するのが科学。