練習もセンスである センスとは面白いと感じられること

暗中模索をさせては駄目。
はてなブックマーク - 「センスがない」のほとんどは、単なる練習不足に過ぎない - GoTheDistance
書かれていることから推察するに、教えられている相手は飽きている。それをセンスという言い訳にしているだけ。つまり本人は面白くないのである。学習者は高い学習コストを支払わされている。で、対策は気合いと根性の1000本ノックを提示。う〜ん、ますます嫌いになると思います。

センスその1

プログラミングが面白いと感じるかどうかがセンスじゃないかな。圧倒的な練習量をこなせるためには面白いと感じる何かがないと駄目。それがあれば後は勝手に練習する。

学校がいいのはその点を「無視」して強制的にさせていること。だからその強制が外れると、最後まで行けるのが5%になる(アメリカのオンライン大学の統計)。学校自体が強制とモチベーションの維持装置になっている。

モチベーションがあって初めて効率的な練習法が生きてくる。

センスその2

練習方法の上手い下手

昔から受験勉強は過去問をまずやれというのがある。これは”先輩”から教わる上手い練習方法である。再現性の高い練習方法がマニュアルとして口伝化した。

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センスは人によって様々である。学習コストが高い低いがセンスである。センスがなければ金の出ない山を掘ることになる。効率化した現代にそんな悠長なことは無駄なコストになる。よって現代戦は圧倒的にマニュアル的な戦略をとる。つまりセンスに依らないトレーニングをさせるのである。

小説はセンスか?
どこまでがセンス(才能)かを最初に提示したが大塚英志である。ハリウッドのマニュアルが源流だと思うが、構造的な書き方を練習させる。大半は技術でマニュアル化、大塚の言い方は手口化できるのである。残ったものが才能である。

最終的にモチベーションなのでそのモチベーションを維持できるかどうかだと思う。センスがないと言う学習者は飽きている。だからそこをサポートできないとならない。

ね、教える側にもセンスが必要でしょ。技術化できると思うけど。


練習より飽きないこと。飽きずに再現性の高い方(偶然ではないこと)へ行けること。短時間でできるように効率化できること。


小説も漫画家もマラソンと同じで長距離走だそうです。つまり続けられることが第一条件。

よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。盗む方にもキャリアが必要なんだ。

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