-JRAの職員から出たということに対して、まず謝罪があってしかるべきだと思いますが
この国では「責任」は重すぎる問題とその回答としての無責任
無限責任
かつて丸山眞男が日本人の責任ついて書いていた。
日本人の責任とは実質無限責任である。責任の範囲が不明確で本人以外に無原則に広がる。
その事例として丸山は昭和天皇暗殺未遂事件(当時は摂政)を挙げている。
虎の門事件は暗殺者その人より、それ以外の影響が大きかった。
類例は現代でもある。犯罪者の近親者を持ったばかりに婚約解消された事例は少なくとも2例ある(平成)。その他に宮崎勤事件は家族だけでなく親戚まで影響した。
これを丸山は日本人の古層と言った。モダンであるべき日本で「遅れた」日本人の部分である。
無責任という生存戦略
日本では責任が重すぎる。よって責任を持たないことが生存戦略である。
責任を取りたくない国民が政府に取らせようとする。それは昔、黒澤明が映画「7人の侍」で描いた。農民は僅かな金(米)で侍に責任(仕事)を取らせた。この真意を見抜いたのは北野武だった。黒澤明も北野武もインテリ出身で、大衆の恐ろしさを知っていた。悪は凡庸で大衆の方が残酷である。
北野武 神出鬼没 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画
ちなみに国際政治でも責任転嫁はあってそれでドイツを抑えられなかった。最終的にアメリカとソ連を引っ張り込んだイギリスがなんとか収めた。ただし主導権は米ソに譲ることになった。
負け戦ができない
現状は本質的に負け戦だがゼロ・イチ思考なので上手い負け方ができない。それは負け=責任問題になるから。そうなると最後は玉砕になる。(損失覚悟の)撤退戦は負けを国民が認めない限りできない。株の格言にある見切り千両・損切り万両ができないのだ。
以下の本に突撃玉砕をする司令官(少尉)の話が出てくる。
責任を取る政治家
責任が取れる政治家は鈴木宗男や野中広務や田中角栄などの旧来の政治家(金に汚いとか言われてそうな)で、それらは平成の改革で国民が望んだようにきれいさっぱりいなくなった。クリーンを求めた結果が今の状況だ。某総理の下で働いていた官僚は大変だったらしい。クリーンな無能は結果である。政治は悪徳である。
リーダーは独裁者
リーダーシップというがそれは「独裁」(日本的な解釈)になるので基本的に通用しない論理である。
安倍首相の「指導力なし」が3倍に 全国電話調査 - 社会 : 日刊スポーツ
ちなみに安倍総理は選挙に勝つことが最優先です。下野した苦い経験がある。小選挙区と二大政党制というゲームのルールではそうしないと生き残れない。
何をやっても非難されるなら自分の利益のために働く。これが最適解。