寡頭政治の限界
現在行政組織は大きく、独裁や寡頭が出来るような状況ではない。独裁はほぼ個人の力量によるが、基本的に勤勉で過労死前提である。その仕事量は古代でも膨大で、始皇帝でさえ仕事を押さえた(決済する竹簡を計量して制限)。現代政治というより近代以降、一人が操縦することはほぼ不可能になっている。笑い話で第二次大戦中決定権を持つ司令官が寝ていたら指示を待っていた前線部隊が何も出来ずその部隊が全滅したことがある。
(正確に述べるとヒトラーと前線指揮官で、決定権はヒトラーにあった。これを元ネタにしたのが銀河英雄伝説にあるアムリッツァ会戦時のロボス元帥らしい。)
このために官僚制がある。官僚制とは行政に限らない。仕組みが官僚制である。
寡頭政治の官邸
少数者は今官邸にいる。政治改革で中央、つまり官邸の権限が強くなった。ボトムアップからトップダウンへ。これが一つの行政改革である。官僚制内閣から議院内閣制へのシフトさせた。
事前調整は情報収集である
巨大な組織を動かすときは事前調整という名の情報収集が必要である。ダグラスマッカーサーも情報収集を怠らなかった。朝鮮戦争時、運転手と副官の三人でジープに乗り前線まで行って現場確認をした。
中央政府より小さい自治体でも独裁や寡頭制は不可能である。あの大阪府や大阪市でも失敗している。校長を民間から募集したら、次世代の校長たる教頭の意味が無くなり(重労働の役職)、教頭試験が定員割れした(赤紙招集で数を埋めた)。教員のキャリアパスを知っていれば、こんな馬鹿なことはしない。少なくとも数は制限したはず。
今回も情報と兵站がそろっておらず、それを事前調整というなのヒアリングで拾えなかった。もし調査していていたら役人の抵抗があっただろう。官邸内は人事権を握っているので抵抗はほぼない。
また情報戦で失敗した。
平成の改革が裏目に
元凶は平成の政治改革である。少なくとも官邸機能の強化が裏目に出ている。かつて官僚出身だった後藤田正晴は役人を上手く操縦した。日本の保守本流、東大卒で内務省出身の警察官僚。あの中曽根康弘が総理就任時に三顧の礼を持って迎えた。
その後藤田が首相権限の強化に警鐘を鳴らしている。
後藤田氏自身が戦後二十数人の首相に接した経験から、「優れた方もいたが、そうでない方も少なくなかった。総理大臣の権限強化は避けたほうが安全だ」と警告したのだった。
故後藤田正晴氏が警告した“政治主導の落とし穴”にはまった民主党 | 辻広雅文 プリズム+one | ダイヤモンド・オンライン
官邸機能としたのは本丸がここだからである。
当時、小泉純一郎首相は国民の強い支持を得て、自民党と霞ヶ関が結びついた旧来型の意思決定システムを打破すべく、例えば、あらゆる政策決定において自ら主催するとともに民間議員に提言権限を持たせた「経済財政諮問会議」をフル活用した。
強調引用者付記
後藤田の話はこちらが出典だそうです。
望んだのは国民
今の政治はリアルタイムである。それはスピード感ということで表される。国民はもう待てない。故に政治家もスピード感を持ってやらなければならない。しかし現実にはそれができない。マスク一つをとっても増産は最低2ヶ月が必要だった。機械自体の納入がそれくらいかかる。物は簡単に増やせない。でも国民は欲するので期待に応えなければならない。アベノマスクはそれで生まれた。文句を言う相手は政府ではない。
日本の先輩であるイギリスの政治。