学校は共同体として一体感をつくる様に出来てる。
これに反するのが読書。
本を読む人が、伝統的な共同体でしばしば胡散臭く思われ、邪険に取り扱われるのは、身体はここにあるのに本読みの目が「ここではないどこか」を見ていることが共同体のメンバーに感じ取られるからです。
— 読書猿『独学大全』索引作成中 (@kurubushi_rm) 2019年2月22日
つまり共同体とは違うものを見ていると思われる。心ここにあらず。共同体としては不気味な存在になる。
学校は共同体である。ゆえに一体感を育むような行為をやたらさせる。それに付き合わされる読書人(秀才)は本当に疲れる。