スピリチュアル(=自己啓発)としての映画
宗教とは救済である
我々は真実をしり目覚めてしまった。しかしそれは世間に理解されない。理解されないばかりか、叩かれる。というのが宗教映画によくあるパターンだと思う。
ユダヤ教とマルクス主義が似ているのは双方同じパターンを持っているからである。頑張れば報われるに近い。A主義は苦難を乗り越えていずれBが天下を取る。
(本題)虎にならなかった李徴
中島敦の『山月記』に出てくる李徴はしっかりと自己を見つめていて虎になる。虎を発見したのは友人(外部の目)という設定である。
では虎にならないのはなぜか。
自己肯定感が凄いから。悩み無用。葛藤なし。悪はすべて他者。
宮崎駿は「風の谷のナウシカ」でナウシカとクシャナという善と悪(理想と現実)の葛藤があった。どちらも姫という立場なのも上手い設定である(人の上に立つ存在)。
富野由悠季は「逆襲のシャア」で(悪として)シャアは地球にアクシズを落とそうとした。庵野は感激して富野が「パンツを脱ぐ」と表現した(『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』)。
富野由が逆シャアでアムロに言わせた
— オムニ P (@OMNI_P) December 29, 2020
「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるから、いつも過激なことしかやらない。しかし革命の後では、気高い革命の心だって、官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を引いて世捨て人になる」
悪(敵)は他人ではなく、もう一人の自分である。個人の中に矛盾・葛藤がある。
悪は他者という方法論
『高校教師』の作家がその手法で「大人が悪い」「子供は善」と書いているらしい(ファンではないので未読)。そうすると大人は全部悪にならなければならない。そこに人という人格はない。
こういう立て付けだと幼稚な童話になる。自己を内省的に見ることがない。客観視できない。厚みがない話になる。
再流行はあるか?
こういう同種の作品は一時流行ってあとは絶滅する。絶滅した後に抗体を持たない若い世代が出てきてまた流行する。一時、崩壊したソ連で新興宗教が流行った理由である。日本だとスピリチュアルブームがこれでその前の霊感商法などが下火になった後、抗体を持たない人が出始めて広まった。何年かおきか何十年か置きに同じ病気が流行る。
まとめ
彼は劇団ひとりがいて初めて輝く存在だが、そのことを自己内でどう消化するかが作品になる。俺は天才だけど輝くにはもう一人の天才(ただし嫌いという設定)が必要である。ガウディのように。
「泣ける映画が良い映画とは限らない」(蛭子能収)
興行成績はそれほどではなかったけど刺さる人には刺さった作品。泣ける映画じゃない桐島、部活やめるってよ。
新海誠との違い
新海誠がオタク気質なので一般向け映画にするために脱臭が必要だったように(東宝のプロデューサーがやった)、この映画も一般向けにするために逆に武装する必要があったのだと思う。 その武装が有名アニメスタジオと有名俳優に声優をさせる戦術だった。
映画の評価
観ずに語る。
だが観る前からわかることもある。
以前、観る前に評論して実際観て評論した評論家がいたが、マニアはあの系統をそれこそ何本も観ているので観る前からわかる。
もっと詳しい周辺の話。
今北産業:古くて新しい話。映画は大仏(でっかい建物)。
機動戦士ガンダム逆襲のシャア 4KリマスターBOX(4K ULTRA HD Blu-ray&Blu-ray Disc 2枚組) (特装限定版)
- 発売日: 2020/10/28
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見る前からいろいろ言われた映画。
予言がはずれるとき―この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する (Keiso communication)
- 作者:フェスティンガー,L.,シャクター,S.,リーケン,H.W.
- 発売日: 1995/12/01
- メディア: 単行本
芸人からの評価が面白い。たぶん正しい。
以前タイムマシーン3号が袖視聴率と言ってたけどその袖の評価かもしれない。
プペル見てきた。
— ふろむだ@学習効率本Amazon総合1位 (@fromdusktildawn) December 27, 2020
「夢を否定する人たちへの批判」という点で、ズートピアと同じ構造。
ただ、ズートピアは、差別や偏見によって友達を傷つけるような成功には意味がないとしてるのに対し、
プペルは、道徳的かどうかはスルーして、単に夢の否定が絶対悪で、夢の肯定が絶対善とするシンプルな主張。
宗教アニメも何本か見たけど、基本的に「仇役を魅力的に描こうとしない」んだよな。
— 葛西伸哉(HJ文庫『封印魔竜が〜』発売中!ノベリズム『聖なる彼女に~』連載中) (@kasai_sinya) July 24, 2022
教義の上では全否定されるべき存在だから。
ところがその結果、期せずして人間味が出て葛藤がない主人公側よりも魅力的になったりする。