東京五輪の開会式
演出が誰かは知らないがそこにあったものは漫画やテレビゲームだった。あと海老蔵。
メイン文化と日陰者のカウンターカルチャーと地下に潜ったオタク文化の内、地上にあったものはゲーム文化だった。
メインカルチャーは所詮海外のものまねなので出しても廉価版にしかならない。独自の進化と言えばオタクとヤンキーくらいである。歌舞伎・相撲などは伝統文化である。
日本と言えばこれくらいで、このあたりを使っておけば良いくらいに思っている(対象へのリスペクト無し)かもね。
オタク叩きが公式化した事件が1988~89年(昭和から平成)に起きた。
これ以降オタクは地下に潜った。
ゲーム音楽にリスペクトがないという記事があったがお台場的価値観はそれしかない。雑に扱う人たちが映画を作ると踊る大捜査線になる。詳しくはシネマハスラー評で。
別記事で予定したものを挿入
フジテレビ局的なセンスの東京五輪
今、主力になっている関係者が実は時代遅れになっている。当時は良かったが時代が減るにつれダサくなった。そのセンスとはフジテレビ的なものである。お台場的なノリ。
身内感いっぱいとイケているという肥大化した自我意識と外への私たちは違うという差別意識と選民思想。正しいを馬鹿にする。ホイチョイプロダクションもそのセンスで一時代を気づいた。
資料入手 東京五輪閉会式で「天皇も参加する〇×クイズ」演出案 | 文春オンライン