この話のアップデート版
弱者のトーナメント(R)
日本は弱者に優しい。というより権力者を叩くために弱者の地位を利用する(だから正確に記述すると本当は弱者に優しくない)。
在特会も日本人は差別されている=弱者であるという論理立てだったはずである。弱者のポジションは強い。このポジション争いを弱者のチャンピオン大会という。
三島由紀夫は女・子供がチャンピオンだと書いていた(『文化防衛論』)。
弱者(被害者)のポジション取りの実例。読まない方がいい。
【蠱毒】室井佑月氏vs仁藤夢乃氏のレスバトルに石川優実氏&北原みのり氏も参戦しカオス状態に突入した件。 - Togetter
現代は少し複雑である。
誰が弱者か
弱者であるという価値判断をどの人が下すかということになる。実はネットの住人(古い表現。今やほとんどの人がネットにつながる)である。民主化された正義と名付ける。それに対して正義を独占的に決める権利を持っていると思っている人は異端審問官である。
民主化された正義 対 独占的に決める勢力
ネット上でこの戦いが起きている。基本的に独占をもくろむ人たちはリベラルである。革命勢力は民主化された正義側である。これによりリベラル側が保守に見えるのである。
JRでの車椅子騒動で弱者であるはずの障害者が叩かれたのは民主化された正義があったからである。「JRの人かわいそう」が民意である。鉄道に詳しい人は別の視点を持っていた(東と東海の分断点にある駅で会社が別)。エレベーターは地元の自民党系の市と県の議会議員が陳情して敷設できるようにした。
風評加害も同じである。正義の汚さを市民が批判したのである。道具として弱者を利用していることに怒ったのである。
風評加害の理屈~批判の道具に使われるもの~ - geopoliticsさんの日記(無回転思考)
正義は誰が決めるのか
グーテンベルクの印刷技術で聖書が大量に出版できるようになり、価値判断が教会独占から文字を読める人にまで出来るようになった。
インターネットも情報と価値判断の独占から市民を解放した。
参院選候補者に不適切な書き込みのCBCテレビ(中部日本放送)、誤爆でなく乗っ取りで逃げ切り図る : 市況かぶ全力2階建
自民党の言論弾圧事件は民主党時代もあった。ネットで暴かれているが報道しない自由=価値判断はある。
旧民主党時代にも起きた選挙演説中の「言論弾圧」事件 - geopoliticsさんの日記(無回転思考)
解放した先が楽園である補償は無い。しかし今まで情報と価値判断を独占していた側が毒をばらまくことまでは想定外だった。
リベラル側の対策は権力中枢を押さえる
少数派が権力を取るためには執行部などの権力機構に食い込むのである。どんな組織も一部の人が動かしている。その一部になるためにクーデターでもなんでも利用して執行部を乗っ取るのである。それが完了している勢力がある。そして少数派が多数派を弾圧するのである。