これで思い出したのが戦後アメリカの郊外に出来た一戸建て。当時、アメリカは大量の復員兵がいてその住宅が必要になった。その対応がT型フォードを生み出したベルトコンベア方式の大量生産だった。ただし動くのは物ではなく人が動く。道ばたに材料を置いていって、同じ人が同じ仕事を一軒一軒回ってやっていく。
ザ・フィフティーズ1: 1950年代アメリカの光と影 (ちくま文庫)にある「レヴィットの郊外住宅」の話。
飯田産業系のパワービルダーの家は全部同じ。宅地開発からするので土地にもピッタリ。普通の間取りの普通の家だけど、普通の形だからこそ耐震等級は3だし、安い割には満足度高いよ。
サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ (日経ビジネス人文庫)
- 作者: 正垣泰彦
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2016/08/02
- メディア: 文庫
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サイゼリヤは、なぜ低価格を続けられるのか | 外食 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
これと同じなのが日本の学校教育である。
規格化して大量に供給する。これによって安く教育が上げられる。
「学校が」という議論で忘れがちなのが公教育の費用問題である。日本は構造的に安く上げることに注力していた。当然個性の尊重は出来ない構造になる。
個性を尊重すると価格が高騰する。
ビジネスソフト開発でも全く同じことが言えますな。パッケージに合わせて業務フローを作るべきなのに、今ある業務フローをオッさんたちが変えたくないからソフトにもワンオフのガラパゴス仕様を求め価格が高騰する。
これに詳しく書いている。淡々と記述されているので素人は眠くなると思う。
ちなみにこれでもかなり頑張って全国一律の教育が出来るように国税を地方にばらまいた。
学校の問題は規格に合わない場合に出る気がする。