反権力論~自立できない(子供の)論理~
日本人は反権力が好き。昔から判官贔屓など権力(このときは頼朝)の反対側につく傾向がある。
これに専門性がないという状態が組み合わさると馬鹿が出来る。
専門性は現時点で正解が出せる(仮説に基づく妥当な意見)。ただしある意味権威になる。故に反権力思想の持ち主はどうしても否定しないとならない。専門性(価値判断の基準)がないから妥当性を判断出来ない。
その結果、一つの巨大な糞が出来る。
糞、糞、糞。
専門性がない糞が大量に量産される。
その安易な思考過程はこういったもの。
彼らはポピュリズムを「社会が究極的に『汚れなき人民』対『腐敗したエリート』という敵対する二つの同質的な陣営に分かれると考え、政治とは人民の一般意志(ヴォロンテ・ジェネラール)の表現であるべきだと論じる、中心の薄弱なイデオロギー」と定義している。
16 彼らは不平をならべ、不満を鳴らす者であり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者である。
反権力は権力の一部でしかない。対立さえしていないのだ。
これを知ったのが例の外務省のラスプーチンが書いた本である。そこでロシア人を通して語っていた。話はキリスト教徒の文脈で、反権威と言えば反バチカンで、すなわちプロテスタントである。イワン(仮名)が反対派は結局自立できないんだよねと語っていた。記憶が曖昧なので読み直す必要があるが面倒くさいので。
自分がそうでないとは言わないが、せめてメディアはお金(実は報道は金食い虫なのだが)と看板があるので専門家を連れてきて欲しい。反対派の専門家はあまり役に立たない。反対の根拠が希薄な感じがするので。
まともな専門家はBSに行っているのだと思うけど。プロ野球もサッカーも衛星放送だと割と専門的に話すそうです。