器用貧乏と単品だがガチの本物の邂逅

 

「わかっている」と「わかっている風」

かつて島田紳助というお笑いの天才が「(テレビに出るタレントは)知っている必要は無い。知っている風に見えれば良い」と看破していた。

野球好きを自称するならマニアックな選手を知っていることにする。王・長嶋ではなく柴田とか(全員V9時代の選手なので有名ですが)。マイナー選手を知っている。

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深いい話だと思うがガチの本物(ヤクルトの古田捕手=当時)だけが見抜いていた。というかそういう体(テイ=番組上の演出)で指摘していた。

邂逅のコストが激減したネット社会

そういった意味でテレビ的な物は素人はだませても玄人はだませない。たた玄人は意見を言う手段が限られていた。テレビからネットに移りつつある時代に玄人が意見を言える手段を持ち始めた。

テレビタレントはガチの玄人から指摘を受ける時代になる。マスメディアの中の人も同じで、例えばレンズの圧縮効果は既に指摘されている。しかし未だに使う。

文化人のこれから

蛭子能収が文化人枠はボケ枠だと言っていた。専門性のない人で口八丁手八丁の人はボケ役に適性がある。これ以上は専門のトレーニングがいる。