権力の民主化~一方から双方へ~

 

メディアのバランスが崩れた理由

ネットの発達によってそれまで口を持たなかった人々が外に向かって公に発言できるようになった。

今までは限られて人が発言を許された。発言を許す人はメディアの人間で、古くは新聞から始まる。だから新聞は毎回同じ人の名前が出てくる。新しくても過去の延長線上である。

ネットにいる野生のプロ

ネットが便所の落書きから社会インフラになるにつれて、徐々にメディアの嘘が指摘されるようになった。一番有名なのはプロメテウスの罠で朝日新聞が堂々と連載し刊行までしたが理系の人間がぼろくそに言っている。

専門家不在のマスコミ

理系というところが肝である程度世界で標準的な物が決まっている。だから日本批判は理系の世界批判になる。IAIEを否定したくてしょうがないマスコミは金の話をする。曰く金で買ったと。しかしそれしかできない。なぜなら理系の記者がいないからだ。社の方針として書けないのかもしれない。

カメラで圧縮して密を作り出した毎日新聞はカメラ小僧をなめていた。カメラマンは新聞社だけではない。趣味人が多くいる。よって徹底的にその筋の人から叩かれた。しかも言い訳が原発事故以前にはなかったと事実誤認までやっている。東京新聞という先輩を忘れている(レインボーブリッジと米軍ヘリ)。そこまで指摘されているのに修正しない。

文系でも実はあるのだが目立たない。だから社会学がやたらメディアに登場する。

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メディアは沈黙するしかない~権威の守り方~

権威とは謝ったら負けである。スターリン批判でソ連アノミーになった。後を継いだフルシチョフが間違いを指摘してソ連の精神が壊れた。

マスコミは謝らず引っ込めるしかない。引っ込めることが出来るかどうかだが、昭和左翼に合わせているため商売としてやめられなくなっている。かつて評論家は商売(左翼は商売でやっていて思想ではない)ならやめられると書いていたが、商売としてやめられないという未来になっている。