データベース社会とデジタル焚書

リベラルの信じる物語

某界隈でデジタル焚書ならぬ削除要請祭りが行われているらしい。

裏から手を回して消すという行為でなおかつ弁護士=お金がある人しか出来ないことをやっている。

デジタルは永遠ではないことが発見され始めたが、やはり書籍の形で残しておかないと、いつ誰かに消されるかもしれない。

弾圧や焚書を国家権力がするという物語は実はあまりなく、個人がより積極的にやるという方がしっくりくる。

魔女裁判の頃から市民同士のたたき合いで、ドイツのゲシュタポ東ドイツの秘密警察も民間人から無関係な人(私怨・しえん)を密告することが多くて難儀したみたいな話があるらしい。秘密警察も役所なので書類仕事なので膨大な紙を処理する必要がある。

そういう市民同士のやり合いという物語を書けないといけない時分に、巨大な悪という大きな物語を書く意義がわからない。普段言論の自由がと言っている人が焚書をしている。これを描かないと矛盾という物語の魅力が出ない。某映画が宗教映画と言われる所以は作者に矛盾がないからである。宮崎駿も冨野も自己に矛盾を抱えている。それが魅力になっている。

ネットの鎖国EU版。

Yahoo! JAPAN、欧州からの接続遮断へ 「法令順守の対応コスト面からサービス継続不能」 - ITmedia NEWS

 

 

大きな悪はいなかったというのが第二次大戦後に出てきたと思う。