諷刺が滑稽になるとき

 

現代の竹槍(すげー強い)で戦うウクライナ

宝島社がコロナにかこつけて竹槍で戦うという広告を打った。

当時からワクチン以外有効手段がない現状を表してない無知をさらした広告だった。

togetter.com

ウクライナは竹槍で戦車と戦っている

さらに2022年3月時点で竹槍(ジャベリンで一発7万ドル)で国土防衛しているウクライナがある。国土防衛は男女関係ない。女も火炎瓶を作っている。民兵による国防である。さらにウクライナを待つまでもなくベトナムはゲリラ戦を展開した。竹槍ではなくAK47だったが。

戦争は悪だから肯定できないとする限界

彼らが失敗している理由は前提とする物語の有効性が失われたからである。かっこよく言えば老化である。

時代の精神が冷戦で止まっているためその先の構図が認識できない。複雑なものを単純化すると善悪か反米(ゆえに親露)、反日(ゆえに親中・親韓)という分け方しか出来ない。どれか一つを選ぶと過去に選んだ分類と照らし合わせると矛盾が出る。反核だが反米ゆえに親中になって中国の核を肯定する(防御の核だからOK)。論理的には反核なら中国の核も否定しないとならないが反米ゆえに否定できない。そうすると嘘をつくか新しい理由を作る。新しい理由がさらにその道を狭めるが無視する。ただ現実は無視してくれない。その負債は例えば電気代に跳ね返る(再エネ代年1万円くらい追加されている)。