話し合いの席に座らせるにも暴力がいる。
戦後の自主規制が作り出したもの
戦争を否定するためにあらゆるものを否定した
戦後の言論空間は戦争否定が基本であるため、あらゆるものが戦争と関係があると根こそぎ否定されてきた。
自動的に正しいことが言えた時代
以前描いたように4つくらいの定理(無批判に正しいもの)がありそれにより自動的に正しい答えが導き出される。
4つはこのあたり
民間に軍事研究者がいない(マニアのみ)
今回の「戦争」(公式には戦争ではないので防弾チョッキを供与できるらしい)で軍事関係が政府筋しかないことを憂うより、なぜ民間でその研究がされてないかが問われるべきである。ここでの民間は大学も含む。その大学で軍事研究を否定しているしその宣言が出たのがつい数年前である。
で、この申し入れ。
2021年12月11日
国民の生活に直結しない研究はこれから大変になると思うよ。ただでさえ大学人とくに文系(人文系)が叩かれているからね。
軍事研究否定の歴史が書かれている。
今の軍事は民生品という記事。
日本人が知らない、日本製品が「無断で軍事転用されている」大問題(部谷 直亮) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)
現代社会は結局のところ争い(戦争)と地続きであり、日本は海があったため地続きを感じにくかった。さらに後ろに米軍基地があるため安全保障を考えなくともすんだのである。
その虚構がいつなくなるかということが現時点での問題である(偽りの平和)。国防は自力救済が原則ということをウクライナで見てしまった。さらに核があると攻め込まれないという定理も発見できた。これは北朝鮮が正しかったと言うことである(北は常に対米国である)。
アジア的優しさとかという系譜は進歩的文化人。
軍事が戦後のタブーであることを自ら証明していく貴重な資料