アートという西洋中心史観~村上隆の戦い~

 

村上隆の戦い

オタクと西洋の接合

村上隆はオタクカルチャーを借りパクして商売をしている。

これはオタク側からの認識で間違っていない。

ただ村上隆自身はオタクでその日本原産のオタクカルチャーをなんとか西洋文明につなげようとしているみたいなことを書いていたと思う。

村上隆が何をやろうとしているのか理解して嫌いではなくなった

西洋美術という世界の異邦人

日本人の認識と世界を見てしまった人の差が村上隆嫌いを生んでいるのだと思う。良くも悪くも西洋文明に正面から付き合うことを決め、格闘しているのが村上隆である。好き嫌いで言えば嫌いだが、やっていることは理解した上で評価しないと意味が取れない。まさに意味を取る=文脈である。

アートは文脈である

これは西洋の歴史が過去の延長に出来ていることがわからないと理解しにくい。学問だとアリストテレスの引用で始まる。ニュートンが否定したのはアリストテレスの世界観である(ギリシア世界)。否定は引用しないと出来ない。彼はこう言っているが間違いである。なぜならばと書かなければならないからである。否定して、否定する理由を述べる。理由はエビデンスというものになる。

ファンションも文脈~パリコレが難しい理由~

パリコレは文脈がわからないと理解出来ないらしい。さらに「プラダを着た悪魔」の映画版でパリコレから大衆服へという流れが少し説明されていた。

アートも実は過去の蓄積と否定など引用を背負っている。ラファエロがわからなければラファエロを否定した一派がわからない。現代アートが難しいのは教養としてお勉強していないとわからないのである。そしてその文脈を作る人は西洋人だけである。つ

 

 

村上隆がやろうとしていることはすべて書かれている。ただし補足説明がいる。村上隆にはこだわりがあるがそれが西洋文明に必須だからである。本人と言うより売り込むためのに必要な物だからである。

要は上に書いたように、西洋に組み込まないとオタク文化は評価されないんですよ。アフリカ芸術も西洋アート(ピカソ)として消費されている。独立して評価されていない。アートの文脈は西洋でしかない。

 

この時代からやっていることは変わってないらしい。

 

美術史を手軽に知るならこれ以上の本はない。