SNSはなぜ感情的か 短文の制約

誰でも出来るという問題

SNSは基本的に短文である。その場合適したフォーマットがあってそれは感情になる。ブログ形式は基本的に長文なのと、そこに到達するためにそれなりの知識がいる。

質が下がる

かつてネットがPCからケータイに移ったとき、質が下がったという話があった。誰でも出来るということはそれなりになる。それなりの場合感情がメインになる。インスタの写真も。そして誰でも出来るということは下限がない。入試や資格試験の意味はハードルを上げるというより下限を上げる意味がある。

長文と短文~長文は論理性がいる~

長文は書き慣れてないと書けない。書ける人は読書感想文はともかく、それなりに書く練習をしていたり学校のお勉強がある程度やっている。例え視野が狭くてもそれなりに書ける。

長文の例として小説が典型だと聞いた。長編小説は論理性が問われる。

ネットは毒まみれ

短文は感情向きである。そして誰でも感情はある。感情表現が稚拙という問題もあるがとりあえずは書けるのである。そして強い言葉が走る。さらに強い言葉がカスケードを起こす。

短文から写真に移行してお粥化したネット社会は感情が強者である。

週刊誌の法則

世の中は週刊誌の法則というものがあってこれが日本人の心情に強く反応する。それは持ち上げて落とす。それが一般人にもできるようになったのがネット社会。

 

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