反対派は責任を負わないという楽なゲーム

責難は成事にあらず

中立という責任を負わない仕組み(含むどっちもどっち(DD理論))

日本は責任が重いので必ず責任を負わない仕組みが自然と作られる。

これは丸山真男は日本の思想で無責任はなぜ起きるかということを書いていたと思う。

そして日本にいる反対派は責任を負わないポジション取りをする。

逆に責任を負う側(実行者)は、がめつくくらい利権をあさる。成功にしろ失敗にしろ矢が飛んでくるなら金目の物はいただいた方が損失が少ない。やってもやらなくても被害を被る主催者側にやめる合理的理由はない。

 

結果、損を「与党(賛成)」でもなく「野党(反対)」でもなく国民がかぶることになる。

 

野党(反対派)すら責任を取らないことが問題なのだと思う。反対の損失を反対派が引き受けない限り賛成側が優位なゲームである。

 

やる・やらないはどちらも調整が必要で調整役を誰がやっているかを考えれば難しくない。やらないなら反対派が調整役=泥をかぶればよい。それをやらず、外野から文句を言うやり方は戦力として弱い。

 

反対派が勝って責任を現場に押しつけた事例。

反対派の責任だけを押しつけられた厚労省

HPVワクチン 厚労省はいつ積極的勧奨を再開するのですか?

 

パラリンピックは感染を理由に中止する可能性があると思う。そして五輪開催反対派が今度は(五輪は開催したのに)パラリンピックは開催しないのか全く反対のことを言うはずである。

 

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