90年代カルチャーが大人になったとき

フジテレビ的なもの(軽チャー)の終わり

踊るの青島刑事が出世しても若手社員みたいなことをしている=成長していないという素人批評があって思わず膝を打った。大人になっても青臭いことをやっていて逆に違和感しかない映画が「踊る大捜査線ファイナル」である。

60年代生まれの総崩れ

問題となった小山田圭吾は1969年生まれだそうでいわゆる新人類(ぎりぎり)である。

小山田圭吾 - Wikipedia

この世代が既に権力側に付いたことになる。若くないが年寄りでもない現在50代である。反体制(=カウンターカルチャー)であるサブカル直撃世代(主導)が主役になったときにその経歴とセンスが表面化する。

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何度か世代論を書いているが60年代生まれがどうもおかしい。

 

ただ世代論は暴論になりやすい。よって目立つ人の唯一共通するものくらいにしておいた方がいい。

時代遅れという話は隣でドンパチやってるときに軍隊(戦争)を否定する現実感のなさだ。戦争は反対してもいいが現に近所で火の手が上がっているときに、どうするかを提示しないと意味が無い。

かつて「偽りの平和」下に反戦平和という象徴は効果があったが現に隣近所で不穏な動きがあるときに何の効果も無い。しかも今の戦争は電子の中である。火ではなく電子である。ミサイル一発東京に落ちれば強制的に空気が変わる可能性がある。このときにどう踏みとどまれるか。現実的な議論をしておかないと一気に空気が持って行かれる

ちなみに時代遅れ感を表すと、

「飯が不味い」と言うが、代わりの飯を出す気はない。

これが嫌われる。

過去のまとめ

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