学力と進学と環境 ある地方農村のルポ

周りに何も無ければほとんどの人は大学を目指さないでしょうね。生まれ落ちた環境という運である程度決まってしまう。そこで勉強の価値を見いだせるか(=受験勉強)。

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

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誰かのことは永遠にわからない(けれども諦めたらそこで試合終了だよ) - 腐ハウスブログ

それでも、大学に行って、勉強ができて、よかったと思っている。それは役に立つとか立たないとか才能があるとかないとかいう以前に、環境としての選択の問題だと思う。
そういうことが、周囲の環境のおかげで、「できたか、できなかったか」。


周囲に塾が全く無くて誰も大学を目指していなくて、そういう環境で果たしてどれだけのひとがどこまで大学に行けるだろうか。
私が東大で出会った友人達のうち、もしそういう環境で生まれ育ったらどれくらいの人数がそれでも東大に進学できるだろうか。
私の地元の同級生10人が、もし東京でみんな塾に行っていて家は標準的サラリーマンでという環境で育ったら、10人中9人が大学に行かないということはあっただろうか。

ほんの些細な運に左右されて私達の人生はあまりにもきれいに決められてしまっているように感じる。
「選べるか、選べないか」。
私と地元の同級生の生活を分けたのはただそれだけの、あまりにも本人にはどうしようもない環境の違いだけだ。

地歩間格差は経済的なことだけではない。

http://www.asahi.com/articles/ASGBG5HCKGBGUTIL03K.html

 大都市と地方で高校生の大学進学率の差が広がっている。今春の文部科学省の調査から朝日新聞が算出すると、都道府県別で最上位と最下位の差は40ポイント。20年で2倍になった。家計状況と大学の都市集中が主因とみられる。住む場所の違いで高校生の進路が狭まりかねず、経済支援の充実などを求める意見がある。

だから学力は多面的なことの反映だと思います。
ESRI Discussion Paper Series No.304 高校の質が学力、賃金に与える影響:日本の双生児データに基づく実証分析|内閣府 経済社会総合研究所

たとえば、書店には本も揃っていないし、大学や美術館も近くにない。田舎者は「金がないから諦める」のではなく、教育や文化に金を使うという発想そのものが不在なのだ。見たことがないから知らないのである。
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

教育と平等―大衆教育社会はいかに生成したか (中公新書)

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