それなりに正しい理系とマスコミの手先になる文系(曲学阿世の社会学)
マスコミが欲しいものは、「科学」的ではなく「気持ち」なので、気持ちにより添える文系が重宝される。
記者は勉強しない~無知の専門家~
何度か書いていますが記者は基本的に勉強しない。
だから仲介役として不適格である。仲介とは専門と大衆をつなぐ行為である。
特に地方紙は活動家になっているため一方的な言説を取材として流している。全国紙だとプロメテウスの罠が有名である。
マスコミは「真実(事実)をお気持ちでねじ曲げる」ことをする。
要約:自分(マスコミおよびリベラル左翼)の意に沿わないという意味です。
市民感覚なき安保専門家が対話を閉ざす Re:で考える戦争と平和:朝日新聞デジタル
大衆から風評加害と指摘される
福島県をフクシマとして象徴し永遠の呪いをかけたマスコミに対して、風評加害と指摘されても逃げる。口を塞ぐという表現でいかにも被害者であるとして逃げるのである。
望遠圧縮で密を作り出して指摘されるて言い訳を述べて逃げる。
市民の敵になったマスコミである。
生け贄にされる市民
フクシマが典型例だがかわいそうというカテゴリーでくくってそれに味方する正義を振りかざし政府や東電を叩くというのが活動家およびマスコミに常套手段である。構図としてかわいそうという人が必要である。そしていつまでもかわいそうでなくてはならない。フクシマの場合復興した普通の地方になってはならないのである。
左翼専門家の衰退
多くの専門家が左翼ではなく科学的中立になっており、特に理系は国際レベルで語られるためマスコミの手駒になりにくくなっているのだと思われる。ロケット中止を失敗としたいマスコミと国際水準では失敗ではない。失敗はコントロール出来なくなったことを指すらしい。
マスコミの手駒は文系
今マスコミの手駒は文系である社会学である。国際水準が求められる理系ではなく文系で適当に言いくるめれば学術的論文を書かなくても評価が得られる。
インターネットと市民社会~マスコミを超えた市民~
かつてはマスコミが流通を担っていたがネットの発達によって市民が専門知に触れることが出来るようになった。これはグーテンベルク以来の出来事である。知の独占から解放である。万人司祭よろしく解釈が多様になる。マスコミも多様なものの一つとなる。だた影響力が大きいため叩かれやすくなる。陰謀論とマスコミは叩かれる宿命である。専門家もフィルターがないため直接矢が飛んでくる。新時代の幕開けである。
かつてマスコミは特権階級だった。